小さなころから感想文が苦手だった。
自分の気持ちを言葉にするやり方がよくわからない。
そもそも何を感じているのかもわからない。
だから、小学生のころは、よくありがちな言葉で終わる感想文だった。
一度だけ、全校の感想文コンクールで佳作かなんかに選ばれてしまったのは、本のあとがきから感想をパクってリライトしたものだった(もう時効ということで失礼)。
ただ、国語で「〇〇はその時どんな気持ちだったでしょうか?」みたいな問題を解くのはわりと得意だった。文章の構造をとらえ、書き抜いたり要約したりするのはたやすいことだった。それは問題文の中にかならず答えとなる文章があるからだった。
だから、中学生以降の感想文は基本的に要約が大半を占め、そこにいかにもありそうな感想を載せていっちょ上がりにしていた。
そんな自分が嫌だった。
みずみずしい言葉で感想を語る人を見ると、いつもうらやましかった。
どうしてそんなふうに感じたことを言葉にできるのだろう。
いつも、そう思っていた。
大人になってから、いろいろと文章の書き方みたいな本を読んで、少しは感想文らしいものを書けるようになった気がしていたが、それはいわゆる書評テンプレートみたいなものに従っただけの文章であることが多かったし、あいかわらず本文の書き抜きと要約が大半を占めていた。
本を読むのが好き。
映画を観るのが好き。
音楽を聴くのが好き。
好きがたくさんあって、いろいろと刺激を受けてとても楽しいのだけれど、いざそれを人に伝えようとすると、うまく言葉にして伝えられない。
そのもどかしさを、いつも抱えていた。
ある日、たまたま動画サイトで本の要約コンテンツが目に入った。
その本の存在は知っていた。
だけど、購入はしていなかった。
なんとなく、帯の筆者の見た目が好きではなかった。
ぼくは、自分では要約くらいしか書けないくせに、本の要約コンテンツはあまり見ない。所詮、要約だし、どうせ薄っぺらいと思っているからだ。
でも、その時は気になって再生ボタンを押していた。
具体的な事例として「映画の感想」が取り上げられていたからだ。
12分5秒の動画を見て、唸った。
そこにはぼくがずっと知りたいと思っていた「言葉の使い方」があった。
すぐに筆者の名前を動画サイトの検索窓に打ち込んだ。
そして動画コンテンツをハシゴした。
どうやら筆者に対して大きな勘違いをしていたみたいだった。
翌日、近所の書店で本を購入した。
筆者の言葉をボロボロ落ちる鱗を拾いながら読んだ。
『言語化力 言葉にできれば人生は変わる』は、言葉によって人生を変えてきた男が、言葉の可能性を信じていることを綴った本だ。
本文に「実践の手引書」とある通り、言葉を使うことに関する具体的なアドバイスもたくさん書かれている。
そして、動画よりも詳細な「感想文の書き方」がそこにあった。
>>【Amazon】三浦崇宏『言語化力 言葉にできれば人生は変わる』
コメント