ろぎおについて

僕と自転車

よもやまばなし
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子どものころ、わが家は車がない家だった。

 

たぶん、親父が免許を持っていなかったからだろう。どうして運転免許を持っていないのか聞いたら、教習中に教官を殴ってしまったのだそうだ。「俺に指図しやがって」って、おいおい、そりゃオカシイだろ。教わっている身なんだからさ…と思うけど、そういう人なんだから仕方ない。それ以来、免許なんていらねえ、運転手を探してくればいいんだ!と言って、免許を取ろうとはしなかったのだそうな。はぁ、どうしようもねえ親父だ。

 

では、母はどうだったかというと、一応免許を持ってはいるが東京では運転したことがないペーパードライバーだった。実家に帰省した時に少しだけ乗る程度。べつに車が好きというわけでもない。だから、車を買おうという話にはならなかった。

 

東京で暮らすのに、車がなくても不便はない。電車とバスを使えば、たいていのところには行ける。僕は子どもの頃からそれが当たり前だったから、車がある家のことを羨ましく思うことはあったが、どうしても無いとイヤだとまでは思ったことがなかった。

 

そんなわが家が、電車もバスも使わずにちょっと遠出する時は、いつも自転車だった。少し遠いところにあるイトーヨーカドーや大きな公園に、よく出かけたものだった。

 

今でも忘れないのは、親父と妹と千葉の「ありのみコース」というアスレチックに出かけた時のことだ。たしか小学3年生くらいだったと思う。それは冒険だった。アスレチックで遊んだことはあまり覚えていないのだが、そこに自転車で行ったということを、すごくよく覚えている。なぜかというと、漕いでも漕いでも目的地に着かなかったからだ。試しにどのくらいの距離か調べてみたら、およそ13.8kmと出た。小学3年生にとって、なかなかの距離ではないだろうか。親父は妹を後ろに乗せたママチャリで爆走し、ぼくはその後をはぐれないようにジュニア・ウェイ号で激走した。

 

ジュニア・ウェイ号?

 

昭和40年代~50年代に小中高生に爆発的人気を誇ったジュニアスポーツ自転車をご存知だろうか。サドルからハンドルに伸びるフレーム上に鎮座するAT車のシフトレバーのごとき6段変速ギア、スポーツカーの意匠からパクってきたのは間違いないツインヘッドライト、ママチャリのハンドルをさかさまにしたようなセミドロップハンドルといった装備で、当時の小学生たちの憧れだった自転車である。

 

僕は親父と街の自転車屋さんに行って、あらかじめ目を付けていた自転車を買ってもらった。ブリジストンのジュニアスポーツ自転車「ジュニア・ウェイ」である。両足が吊るんじゃないかというくらいのつま先立ちでプルプルしながらシートを調節してもらい、今にも転ぶんじゃないかというくらいフラフラしながら走り始めた。が、ひとたび漕ぎ始めれば、それまでの自転車とは雲泥の差ともいえるスピードが出て興奮した。自転車屋からの帰り道は、無駄にギアチェンジをしながら、親父のスポーツタイプの自転車を一生懸命追いかけた。

 

そのジュニア・ウェイ号での初めての遠出が、ありのみコースだった。見知らぬ土地をスイスイと進んでいく親父の背中を追いかけ、ふと気づくと新しい世界がまわりには広がっている。どこだここは?!信号や道の横断で立ち止まるたびに、そんな驚きと感動がこみあげてくる。やっとたどり着いた時には、どれだけ遠くまで来たんだろうと思ったけれど、帰り道は意外と早く感じた。

 

中学から高校にかけては、一文字ハンドルのシティサイクル(いわゆるママチャリ)に乗って、家から半径15km圏内を縦横無尽に駆け回っていた。高校時代、定期代を小遣いにしたいがために、よく自転車で学校まで行っていた。そういえば高校2年生の時、雨の日に転んで右手の小指を骨折したのも自転車に乗っていたときだった。はじめての骨折。あの時はあらぬ方向に曲がった小指を見て「やべッ!」と気が動転して、無理やりグイッとまっすぐに直したんだっけな。今考えると、若さって恐ろしい。

 

大学に進学。

地元のレンタルビデオ店で深夜バイトを始め、映画にハマった。月に10枚もらえる無料券は1週間で使い切り、それを見かねた先輩が券をくれるものの、それも全て映画に化けた。さらに同じシフトに入っていた人が昼間は映画関係で働いている人だったので、映画館や試写会の招待状をもらえるようになり、スクリーンでも映画を観まくっていた。ときには試写会のハシゴをするくらいに、まぁとにかくよく映画を観ていた。

 

レンタルビデオ屋での勤務は、深夜帯の4時間半だけだったので、昼間は時間があれば単発のバイトもしていた。家庭教師、マーケティング調査の手伝い、菓子問屋のピッキング、引っ越し、カラオケ、東京国際映画祭の運営事務局などなど。社会を垣間見るのが楽しかった。

 

学校には…たぶん行っていた。

 

とにかくよく働いて小金持ちになったので、ある程度は買いたいものが買えた。たぶん、今よりも可処分所得は高いだろう。部活バカだった高校までと違って、物欲のままにあれにもこれにも手を出した。本当に無駄遣いばかりしていたが、なかにはこれを買って本当によかったというものもあった。その一つが自転車だった。

 

SCOTT(スコット)というスイスのブランドのマウンテンバイクを買った。紫色のメタリックのフレームに、白のスリックタイヤという趣味の悪いカラーの自転車を手に入れて、僕の行動範囲は15km圏から25km圏に広がった。都内ならどこへでも自転車で行った。たとえば、サークルのバスケの練習のために、片道25kmの道のりを走り、2時間汗だくになってボールを追いかけ、また25kmの道のりを帰っていた。終電を気にしたくない時には、飲み会も、クラブも、車やバイクだとマズいけど、自転車なら大丈夫とばかりに出かけていた(今は完全にアウト)。どの道を走れば、早く目的地に着くか。そんなことを考えながら、ビルの間をすり抜けていくのが楽しかった。

 

大学4年の時には、輪行バッグに自転車を入れて飛行機で北海道に飛び、そこからテント泊をしながら東京に戻ってくるなんてこともやった。基本的には海岸線を進む平坦ルートをできるだけ選んでいたが、それでも局所的なアップダウンはある。この時、僕は坂道を登るのが嫌いじゃないということに気が付いた。ストイックに漕ぎ続けるのが楽しいのだ。いつか坂は終わる。そう思いながら無心にペダルを回し、ピークを攻略する。そう、攻略していくのが楽しかった。坂を登りきれば、あとは下りが待っている。いつもより早いスピードで、風を切って走っていく爽快感は最高だった。

 

学生生活の最後にバックパッカー旅行でヨーロッパを訪れた時、自転車をそのまま乗せられるスペースがある電車があるのを初めて見て、「自転車持ってくればよかった!」と思った。いつか自転車でヨーロッパ旅行をしてみたいと思っているが、これはまだ実現できていない。

 

社会人になった。

車を持った。

 

自転車は遠くまで出かけるものから、生活の足となった。

 

近所に買い物に出かけるもの。

家と駅を往復するもの。

 

結婚して子どもが生まれた。

 

近所の公園に出かけるもの。

保育園の送り迎えで使うもの。

 

自転車は完全に生活の足だった。

 

そんな風になって、そこそこ長い時間が過ぎたある日、僕と奥さんが同じ職場で働いてたころの先輩(女性)家族との付き合いが始まった。とても優しそうな旦那さん、聡明な息子くんとはすぐに打ち解け、男だけでキャンプに行ったりもした。

 

いろいろ話をしているうちに、胸がザワッとする話が飛び出た。旦那さんが自転車にハマっているというのだ。しかも、レース競技のアマプロだという。チームに所属し、ロードの大会にも出場しているガチの人だった。

 

「今度、富士山を自転車で登るんですよー」

「ついに息子と一緒にツーリングし始めたんですよー」

 

話を聞けば聞くほど、僕にとって生活の足となった自転車が、全く違う何かになっていくのがわかった。すごく惹かれているのは間違いない。だが、その気持ちを安易に認めるわけにはいかなかった。なぜなら、そこに沼があることを知っているからだ。自転車沼。ハマったら大変なことになる。だから、いいですねーと軽い返事をするにとどめていた。

 

コロナ禍。

 

そのご家族ともすっかりご無沙汰となってしまっていたある日。

 

アマゾンプライムでなんとなく『弱虫ペダル』を見始めたら、4シーズン全112話を一気に見てしまった。先が気になる。すぐにコミックスのことを調べてみた。どうやら68巻まで出ていて、アニメは49巻までの内容らしい。気づくと近所のTSUTAYAに走り、68巻まで借りて読破してしまっていた。あぁ、ヤバい、「恋のヒメヒメぺったんこ」が頭の中を回る。。

 

さらに『シャカリキ』という作品も文庫版7巻を借りて、あっという間に読破。ヤバい、これは確実にヤバい。映画『栄光のマイヨジョーヌ』も観たいし、『南鎌倉高校女子自転車部』も気になっている。

 

最近、気が付くと自転車のことを考えてしまっている。もはや自転車を趣味のものとしてとらえていることは明白だ。まず、どんな自転車を買おうかなと考えるところからというのが、楽しくて仕方ない。本格的なロードバイクやマウンテンバイクから離れている間に、その乗り物は格段の進化を遂げていた。わからないことを紐解いていく。知識が増えていく。悩むことが増えていく。まだ自転車に乗るどころか、手に入れてもいないのに、すでに攻略していく楽しさに目覚めている。楽しすぎる。

 

そして、昔と大きく違うのは、息子がいるということだ。

 

かつて、僕は親父の背中に導かれて、自転車の楽しみを覚えた。風を切って木々の木漏れ日を感じながら走ることの気持ちよさを、息子にも味あわせてやりたい。自転車こいで海を見に行きたい。夜明けの空に太陽をめがけて走りたい。この長い長い下り坂をブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくりくだっていきたい。

 

そんな欲がむくむくと湧いてきてしまう。

 

問題は沼だ。深い深い沼があるのだ。それ相応の軍資金も必要になる。

 

そうだ、今度、アマプロの旦那さんに連絡して聞いてみよう。

 

僕にまず必要なのは、奥さんの攻略法だ。

 

 

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