ろぎおについて

われわれは地球人

よもやまばなし
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どうも、ろぎおです。

 

 

ひさしぶりの3000文字チャレンジです。

 

 

3000文字チャレンジとは、Twitter で毎週発表されるお題に対して、3000文字以上書いて投稿しようぜ!という企画です。

 

記事の最後にリンクを貼っておくので、興味がある方はそちらをご覧になってみてください。

 

 

 

さて、今回のお題は「マイノリティ」。

 

 

普段、なにげなく見聞きしている言葉で、「少数派」を意味することはなんとなく知っていますが、じゃあ説明してと言われると、ちょっと自信がありません。

 

 

そこでちょっとお勉強。

 

 

言葉の定義からググってみます。

 

 

まずは日本語にしてみましょう。

 

 

社会的少数者

社会的少数集団

社会的少数派

 

 

こんな訳語が当てはまります。

 

 

対義語はマジョリティ(社会的多数派)ですね。

 

 

ここで注意したいのは「社会的弱者に近い概念である」ということです。

 

 

Wikipedia には、一般的な条件として次の4つの条件が掲げられています。

 

 

・ある身体的、文化的な特徴によって著しい違いがある

・権力の差

・差別的かつ軽蔑的な待遇

・少数派としての集団意識

 

 

まとめると、何かしらの違いによって弱い立場に置かれている人々、ということになりますね。

 

 

で、この定義に当てはまる人々をマイノリティと呼ぶにあたって、留意すべきことが2つあります。

 

 

ひとつめに、数は問題ではない、ということです。

 

 

どういうことか?

 

 

たとえば、「女性」を考えてみます。

 

 

・男性と女性、違いがあるのは明らか

・男性中心の社会はいまだに根強く存在する

・女性というだけで、差別的な扱いを受ける事例

・女性という集団意識

 

 

「女性」に上記の4つの条件が当てはまる歴史や事例があるのは、おわかりでしょう。

 

このように、数の上では人口の半数を占めているくらい多くても、言葉の定義に合致すれば、「女性」をマイノリティとする文脈も存在しうるというわけです。

 

 

少数という訳語から数にとらわれがちですが、実際には数よりも概念に合致するかどうかが重要なポイントなんですね。

 

 

 

 

もうひとつの留意点は、強い立場にある集団のことをマイノリティとは呼ばない、ということです。

 

 

最初、僕はマイノリティという言葉を少数派としか理解していませんでした。

 

だから、この3000文字チャレンジを書くにあたって、今後はビジネス分野において少数派の人がどんどん強くなっていくね、みたいなことを書こうと思っていました。

 

しかし、それはちょっと違うぞと。

 

 

一握りの大富豪みたいな人のことを、マイノリティとは呼ばないのです。

 

 

たとえば、マイノリティといわれる人は、具体的にはどんな人でしょう?

 

Wikipedia から引用してみます。

 

以下は、日本の定義です。

 

 

・新宗教や各社会における少数派宗教とその信者

・同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーなど、LGBT・性的少数者

・障害者

・難病患者

・路上生活者、車上生活者、日雇労働者

・少数民族

・在日外国人、帰化した日本人

・婚外子

・一人親家庭

・寡婦

・機能不全家族

・低学歴者

・少数派の血液型

 

 

いかがでしょう。

 

社会的弱者の概念に近いということが、なんとなくわかるのではないかと思います。

 

 

これをふまえると、人と違うことを言ったりやったりして、自分のことをマイノリティだみたいに言っている人は、ちょっとズレているなという気がします。

 

こういう細かいことを、きちんと調べて知っておくことは、意外と大事。

 

 

少しは理解が深まりましたかね?

 

 

今のところ、これらのマイノリティの定義に、僕は当てはまりません。

 

だから、すごく苦労をしたとか、大変だったという思い出がほとんどなく、それはそれで幸せなんだろうなと思います。

 

ただ、まわりを見回せば、いろいろなマイノリティの人々が、とても身近に存在しているのは事実です。

 

 

そして、それを知る機会も、以前に比べると多くなっているように感じます。

 

 

たとえば、テレビドラマにみるLGBTの存在。

 

 

近年、同性愛者の恋愛をテーマに描いた作品が注目を集めています。

 

おっさんずラブとか、かなり話題になりましたよね。

 

実際に調べてみると、ここ数年でLGBTドラマはかなり量産されています。

 

 

欧米では当たり前のように登場するLGBTですが、日本ではまだまだ特別な存在として扱われていて、これから徐々に欧米のようになっていくのでしょう。

 

 

僕は学生時代の映画業界でのアルバイト、夜遊びで出入りしていたクラブ、そして今も働いているファッション業界で、LGBTの人たちとも楽しく過ごしてきました。

 

だから、「あの人は…」みたいに差別的に言う人が好きではなく、いいじゃないの別に、という感じです。

 

 

 

あとは、一人親家庭というのも、身近におりますね。

 

 

ちょっと調べてみたら、2016年の統計で10世帯に1世帯が母子家庭という割合。

 

1クラスに3人というのは、肌感覚としては遠からずな印象です。

 

 

で、今、社会問題となっているのは、一人親の貧困です。

 

特に母子家庭。

 

男女差&正規・非正規というダブルの賃金格差によって、働いても働いても満足な収入が得られない状況は、先進国のなかでも突出してよろしくない。

 

しかも、労働時間が長くなれば、子どもと接する時間も減ってしまう。

 

これは、苦しい。もはや個人の問題ではない。

 

 

そういうニュースを見るにつけ、政治に文句の一つも言いたくなりますが、それは本論から外れるのでやめておきます。

 

LGBTや一人親家庭以外にも、日々のニュースをちょっと意識して見てみれば、マイノリティに関する話題というのは、そこら中にあることがわかります。

 

 

そういえば、マイノリティのことを考えるうえで、印象に残っている話があります。

 

 

バスケットボールの八村塁選手。

 

アメリカのプロバスケットボールリーグNBAで、日本人初のドラフト選手となった人物です。

 

彼はベナン人の父親と日本人の母親をもつハーフです。

 

外見は黒人。

 

日本人と比べると、明らかに違います。

 

彼は生まれも育ちも日本ですが、自分が日本人という自覚を今一つ持てなかったそうです。

 

中学生の時にバスケットボールに出会い、メキメキと頭角をあらわし、高校時代には数々の偉業を達成。

 

そして、NBAに挑戦するために、アメリカの大学に進学します。

 

 

そこで驚いたのは、アメリカ人が彼を日本人と認識していたということです。

 

 

日本では日本人ではなく、アメリカでは日本人。

 

 

日本でも海外でもマイノリティ。

 

 

なんなんだ、これは?と。

 

 

で、最終的にたどり着いた結論は「八村塁」でいいじゃないかと。

 

 

 

僕は日本で生まれ、日本で育ち、顔つきも肌の色も日本人なので、そういう悩みをもったことはありません。

 

海外旅行中に、あぁ自分はここでは外国人で、マイノリティなんだなと感じたことはありますが、日本に戻ってくれば、日本人だという安心感がある。

 

 

 

でも、日本でも、海外でもマイノリティとなると、わからなくなりますよね。

 

 

 

自分はどこに属しているのかが。

 

 

 

帰属意識って、安心感のベースになる部分だと思うのです。

 

 

家族

 

学校

 

会社

 

地域社会

 

 

 

単位が大きくなればなるほど、そこから受ける影響も大きい。

 

 

 

で、どうしたらいいか、考えました。

 

 

 

結論。

 

 

 

これからは「地球人」という意識がいいんじゃないかと思います。

 

 

 

これなら、どこに行っても、安心です。

 

 

で、それをベースにして、集団の中にいる安心感よりも、個で立つという強さをもつ。

 

ひとりひとりが違うという認識をもって、いろいろな違いがあることを受け入れつつ、自分をしっかり持ってやっていく。

 

 

そういう姿勢がいいんじゃないでしょうか。

 

 

 

そもそもね、マジョリティとかマイノリティっていう認識があること自体が、なんか嫌ですよね。

 

 

そういうのをなくす方向に世の中は動いていると思いますけど、今後もその歩みを止めることなく、どんどん進んでいってほしいです。

 

 

そのためにも、他人事ではなく自分事としてマイノリティの人々との接し方を考えることは、一つの教養・常識みたいになっていかなくてはいけない。

 

 

で、テレフォンショッキングのあの合言葉ですよ。

 

 

「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪、輪っ!」

 

 

これで、いいじゃん。

 

 

地球人として、そう思います。

 

あ、でも、月や火星に行くことになったら、またちょっと考えなくちゃいけないかもしれないですけどね。

 

 

その時は、その時ということで。

 

 

ではまた。

 

 

 

 

 

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