先月からブログをちまちま書いています。
誰に頼まれるでもなく書いています。
どこかにお出かけした時は、それを楽しんでいる自分のほかに、もう一人の自分、ジャーナリスト・ロギオがいたりします。
自分の中で勝手に
「これ、取材だからね。読者にわかりやすくお届けしなくちゃなんないんだからね」
とか
「誰かの心を揺さぶる記事が書きたいんだよね。傲慢?確かにそうかもね。ある意味、滑稽だよね。誰も読んじゃいないかもしれないのにさ。でも、いいんだ。俺は書くことが好きだし、書くことでしか生きられない。そして、そんな自分が好きなんだ」
てなことを考えていたりします。
書きたいことは無限にあります。
どこかに行ったとか
何かを買ったとか
はじめてやったこととか
とにかくすべてのことに対して
「これ、ブログにできるな、ふっふっふっ」
と考えているし、ハッと気づくとブログのための写真や動画まで撮っている始末。
家族や友だちと出かけた時、みんなは一緒にいる人とか、素晴らしい景色とか、綺麗な花とか、美味しそうな料理などを写真に撮ります。
一方、僕はというと、看板とか、行列とか、トイレとか、停留所とか、券売機とか、コンビニとかを撮っていて、普通の人からすると「なぜそこ?」みたいな写真を撮っていることも多いです。
もはや病気と言ってもいいレベル。
自分や周りの人にハプニングが起こると、僕の二重人格はさらにハッキリと輪郭をあらわにします。
「うわぁぁぁ、どうしよどうしよ」
とテンパっている一方で
「スクーーープっ!美味しいわぁ、これ(ニヤリ)」
とほくそ笑んでいる自分がいるのです。
まさに冷静と情熱の間に ← 言ってみたかっただけ
はっきり言って時間も手間もかかるし、気がつくと数時間経っているなんてこともザラです。
あぁ、娘のお迎え行かなきゃ
あぁ、洗濯物とりこまなきゃ
あぁ、子どもたちを風呂に入れなきゃ
あぁ、youtube見過ぎた
あぁ、眠い、、、
仕事もしているから、それなりに忙しい毎日のなかで、その合間を縫ってまで
僕はなぜブログを書くのだろうか?
ということを考えてみました。
■たくさん読んでいると書きたくなってくる
僕は
本を読むのが好き
活字を追っているのが好き
ストーリーが好き
面白がりたい
知りたいことが多い
ミーハー
そして、ブログを読むのが好き
たくさん読んでいると、すごいなぁとか、楽しそうだなぁとか、ためになるなぁとか、それはもう色々なことを感じます。
特に書き手の想いや感情が乗っている文章に出会うと、ぞぞーッと鳥肌が立つこともあります。
だから、いつも書いている人のことをすごいなぁと思うんです。どうしてこんなに豊かに表現できるんだろうと。
しかも、僕の頭の中の引き出しにもあるはずの言葉だったりすると、チキショー!って気持ちになります。
自分のことなのに自分の言葉のタンスの中を探すのがものすごく下手くそ。
だから人が探してくれたうまい表現を見ると、自分は上手いことを言う必要もないし、言葉を探す必要もないんじゃないかとも思います。
情報としてはそれで十分なんだし。
でも、そんな僕でも、いや、そんな僕だからこそ、読みまくっていると書きたくなるんです。
なぜか?
それはこんな理由です。
■ねぇねぇ、知ってる?と言いたい
オタク気質なんですよね、要するに。
そしてさらに、これです。
■書き残して共感してくれる人とつながりたい
自分が感じたことを誰かに伝えるだけなら、家族、職場の同僚、友だちなどに話してワーワー言ってればそれでいいんじゃね?
はい、その通りです。
ただね、困ったことに、都合よくそういう人が周りにいてくれるとも限りません。
コトとシダイによっては、知っている人には言いづらい内容かもしれない。
じゃあどうすんの?
はい、そうですね。
どこかに書いておけばいい。
そうですよね?合ってますよね?
まぁ、合ってなくてもいいです。
とりあえず僕は「書き残す」ことを選びます。
そうすることで、誰かが読んでくれるかもしれないし、少なくともしばらく時間が経ったら自分で読み返して、その時の自分にツッコミとか入れることもできるし。
そう、たとえ自分だけであっても、書き残せば未来の自分と対話できるんです。
おぉ、今これを書いててそのことに気付きました。俺って1031(天才)?!
何をいまさらでごめんなさいね。
でも、ブログなら書いていれば、誰かが見つけてくれます。
今は「見つけてもらえる」という意味では、もっとも進んでいる時代です。
自分が書き残したことに対して、世界中の誰かが反応してくれるって、ハンパないですよ。
だってその場で独り言をつぶやいたって、何も返ってこないでしょ。
「ふっ、俺、何言ってんだか」
と思っておしまい。
だけど、ブログに書き残すと、誰かがいいねとボタンを押してくれたり、ご丁寧にコメントをくれたりするのです。
いい反応もあれば、そうでない反応もあるけれど、反応があるってことで、自分がいるということを実感できる。
いわゆるショウニンヨッキュウってやつですね。
「僕、そんなにショウニンヨッキュウとか強くないし」
なんてうそぶきたくなってても、じつはそんな時ほど飢えていると思います。
一種の麻薬です、これは。
みんな誰かに褒められたりいじられたりしたら
うれしいし
楽しいし
大好きです、ブログ。
ってなるんです、たぶん。
ちーなーみーにー
いまどき、ブログ以外にもいろいろなプラットフォームがあります。Twitterやinstagramなどは、すごく気軽でいいですよね。
だから別にブログでなくてもいいというご意見、はい、それもごもっともです。
自分が思ったこと、感じたことが表現できれば、何でもよくね?
たしかにその通りです。
でも、僕はやっぱりブログを選ぶ。
理由は「言葉をきちんと残したい」からです。
人は、自分の考えや感情を、言葉でしか考えられないし伝えられません。
今は写真も動画もあるので、それはそれでいい表現だと思いますが、僕は言葉にしかない「余白」を大事にしたいし、そこにすごく価値があると思ってます。
それに写真や動画はイメージを固定してしまうのに対し、文章はそれを読んだ人にある程度まかせてくれるところがあります。
そしてそれら全てを頭の中では「言葉」で考えている。
始めに言葉ありき
この世は神の「言葉」によって作られたという聖書の有名な一節ですが、まさにその通りだなと思うわけです。
言葉、そして文章を残すなら、もっとも適したメディアはブログでしょう。
文字数にとらわれることもないし、文字装飾もふんだんに使える。そして写真や動画を一緒にして、表現することもできます。
ブログ、最高じゃないですか!
■お金を稼げる
このことに触れないわけにはいかないでしょう。
ブログでお金を稼ぐ
これがモチベーションの全て、ブログ・イズ・ビジネス!という人の方が、今は多いのかもしれません。
もちろん、僕だってお金が欲しいっていうのはちょびっとある。
いや、だいぶあるな。
お金、欲しい。
お金、ほちい。
お金、くれーーーッ!!!!!!
ふぅ、取り乱しました。
これくらい開き直っておけば、まだコイツ本当のこと言ってねぇな、とはならないでしょう。
本音としては、できることとやりたいことが一致していくようにしていって、その結果がお金にもつながったら最高、って感じですかね。そんなに甘いもんじゃないですけど、まぁ、理想です、理想。
でも、願ったことは叶うかもしれないが、願わなければ絶対に叶わないので、密かにずっと祈り続けてます。
ねぇ、誰か踏んで、そして買って
ってね。
ここまで書いてきて、ちょっとだけスッキリしました。そうだ、そうだ、僕はそんなことを考えていたんだね!
この駄文は誰のためでもなく、自分のために書いているんだと思います。
言葉をこうして定着させれば、この時点の僕をいつでも振り返ることができるし、そこから一歩先に進むことができる気がします。
自分を暗示にかけているフシもあるけれど、まぁそれはそれでいいか、と。
原点回帰
初心忘るるべからず
うまくいっている時は
「へっ、俺は過去は振り返らない、常に進化しているからな!」
と思う言葉も、迷った時は福音。
ブログを書くことに迷ったら、原点に立ち返って、思いつくことを書き留めてみる。
そこから一歩ずつが、おすすめです。
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