秋晴れのある日、僕はある行事を見るために、小学校に足を運んだ。
正門から校舎に入ると、体操服の生徒たちがちょうど靴を履き替えているところだった。
「なんでこのタイミングで来るんだよぉ」
人ごみの中で声のほうに目をやると、息子と友だちが立っていた。まさかここで会うとは思っていなかったようで、友だちと一緒という照れ臭さから悪態をつきながら声をかけてきたのだった。
「コケないように走れよー」
「コケねえよ。いこうぜ」
そう言って、息子は友だちと校庭に出ていった。
昇降口から外に出ると、校庭を囲むように保護者たちが立っていた。花壇の前に隙間を見つけたので、そこに陣取ることにした。
校舎から水筒とレジャーシートを持った生徒たちが続々と校庭に出てくる。自分の親を見つけ、うれしそうに手を振りあう光景が微笑ましい。
定刻の時間になり、いよいよ「ある行事」が始まった。
今年はコロナ禍により運動会が中止になった。そこで代わりに学年連動で勝敗を決する「れんこんカップ」という大会が企画された。
これは、すべての学年が3クラスであることを利用し、「組」を垂直にチームに見立てて競う大会である。つまり、1年から6年までの1組が全部で「1組」というチームになるということだ。学年ごとに競技をおこない、1位から3位までに得点が与えられ、その合計点が高い「組」が優勝というわけだ。
ちなみに「れんこん」というのは、学校の敷地内に蓮田があることに由来している。
学年ごとの競技はさまざまで、5年生は全生徒でリレー戦をおこなうことになっていた。
保護者からすると通常の授業一コマの学校公開なのだが、そこは「大会」なので、まずは開会式がおこなわれた。
息子の担任の先生が開会宣言をおこなうようだが、演台に登った先生の様子がちょっとおかしい。
「えーっとまず、イェーイの練習をします」
ん? イェーイの練習??
保護者達は困惑の表情を浮かべ、生徒たちはクスクスと笑っている。
「じゃあいくぞー、せーのッ」
「イェーイ」
「あのな、中途半端にやるのが一番恥ずかしいからな。大きな声でイェーイをお願いします。ではもう一度!せーのッ」
「イェェェェェーーーーーイ!!!」
「オッケー!じゃあ、『れんこんカップ2020を開会します』と言ったらイェーイだからな。たのむぞ!」
と言って、先生は演台から一度降りた。
あのー、こういうのは事前に打ち合わせをしておくんじゃないでしょうか?と思ったが、こういう部分も見せるのが学校公開らしいといえばそういう気もする。
では、本番。
先生が演台に登り、一礼。
生徒たちを見つめて、宣言。
「れんこんカップ2020を開会します!」
「イェーーーイ!!」
練習よりもトーンダウンしたイェーイに、少し不安になった。
その後は、ルール説明、選手宣誓、準備体操と、普段の授業とは違う「大会」らしい進行が続いた。
各クラスの代表の生徒がおこなった選手宣誓の「ウイルスを吹き飛ばすくらいの戦いをしよう!」というセリフと、息子が準備体操で前屈をするときの体の硬さが印象に残った。
さて、いよいよリレー戦である。
1チーム男女混合9人のバトンリレーを4回戦おこなって勝敗を競うルールで、1位3点、2位2点、3位1点を積み上げて高得点のクラスが優勝。
息子は3組の第1走者として、最後の4レース目に登場する予定となっていた。
最初のレースから抜きつ抜かれつの激しい熱戦が繰り広げられ、それぞれにドラマがあった。そして、会場のボルテージはどんどん上がっていった。
3レースが終わった時点での結果は次のとおりである。
1組 6点
2組 5点
3組 7点
3位の2組が逆転することはないにしても、1位の3組に追いつく可能性は残されている。まさに勝敗の行方は最後のレースの結果次第となっていた。
3組のオーダー(名前はすべて仮名)
1 だいき(息子)
2 あんちゃん
3 いっちゃん(1回目)
4 れいなちゃん
5 うめっち
6 かまっち
7 よっしー
8 いっちゃん(2回目)
9 やまちゃん
勝敗のポイントは、いっちゃんのスタミナとアンカーやまちゃんの走りだ。
これまでのレースを見ていると、ひとりで2回走る生徒は、あきらかに2回目の走力が落ちていた。特に最後の半周の失速はあきらかで、そこで順位がひっくり返ることも多かった。
どういう理由で決まったのかはわからないが、女子が2回走るのは、かなりキツイはずだ。そのため、8走目で勝敗が決してしまう可能性は十分考えられる。
そして、もう一つの要素はアンカーだ。
このレース、1組のアンカーに男女通じて学年トップ3に入る「ナミちゃん」がいるのだ。
彼女はとにかく速い。
ナミちゃんと同じ組になると
「うわー、ナミが一緒かよぉ。。」
と思わない生徒はいない。
それくらい速い。
この時点で僕は3組のアンカーやまちゃんの走力を知らないのだが、正直、最後のバトンを受け取った時点で負けていたら、勝つことはないだろうと思った。
さらに、察しのいい人はお気付きだろう。
その最後のバトンを渡すのが、いっちゃんときている。
スタミナに心配が残る2回目の走者だ。
なんと綱渡りなオーダーだろうか。
僕は目の前で列を作っている3組の生徒たちを見ながら、みんな頑張れ!と念じていた。
「では、最後のレースを始めます」
第1走の選手3人がスタートラインに走っていく。
息子は一番外側のアウトコース。
インコースとの間で前後差がついているので、一番前からのスタートだが、最初の半周はコースレーンを守って走らなければいけない。レーン解除までの間にインコースの2人にどれだけ差を詰められてしまうかが勝負の分かれ目だ。
左手にバトンを持ち、気をつけの姿勢で号令を待つ息子。その背中から緊張感が伝わってくる。
「いちについて、よーい」
キッと前を見て、スタートの姿勢をとる。
バンッ!
3人は勢いよくスタートし、一瞬で走る風になった。吸い込まれるようにコーナーに飛び込んでいく。息子の緊張はカラダをこわばらせることなく、ほどよいものだったのだろう。腕の振りも、足の運びも、いい感じだ。
カラダを左に傾けながら走るにつれて、徐々に3人の差が詰まっていく。息子も頑張ってリードを守っているが、インコース1組のエンドウがなかなか速い。これは並ばれるなと直感した。
第2コーナーを回ってバックストレート。レーンが解除され、この時点でエンドウと完全に横並び。息子はスムーズにインコースに寄っていく。いいぞいいぞとこちらが思っている間に、直線が残り半分になる。
「だーいーき!だーいーき!」
3組の生徒たちは、目の前を走り抜けるクラスメイトの名前を大声で叫び続けていた。その声援に背中を押されながらエンドウとのギリギリの闘いを繰り広げる刹那、息子は静かに笑った。
直線の最後、少し前に出たかに見えたが、先にコーナーに飛び込んでインを制したのはエンドウだった。それでも息子はあきらめることなく食い下がり、最終コーナーを抜けたところから加速。バトンリレーはほぼ同時だった。
ここからは我慢のレースが続いた。
2走のあんちゃんから7走のよっしーまで、何度か3コーナー付近で1位に並ぶが、どうしても抜ききれない。れいなちゃんも、うめっちも、かまっちも、よっしーも、全員が果敢にアタックした。そしてバトンをつないだ。
第8走。2回目のいっちゃん。
走れるのか。
大丈夫なのか。
そんな心配をしながら見つめる先で、彼女は2位でバトンを受け取った。
前との差はそれほどない。でも、このあとの1組には最速のナミちゃんが控えている。ここで離されるわけにはいかない。どうにか付いていってくれ。
いっちゃんは、走った。
全力で走った。
前を走る選手の背中を、懸命に追いかけた。
最後の半周、ペースは落ちなかった。
むしろ差を詰めていた。
そしてアンカーのやまちゃんにバトンが渡った。
最後のアンカー勝負だ。
相手はナミちゃん。
彼女もバトンをもらう前から気合十分。
早く来いと手招きしてバトンを受け取った。
速い。力強い。
僕の前で見ていたお母さんたちも
「うわっ、ナミ、はやっ」
と驚いていた。
この時点で僕は厳しいと思っていた。
が、それは違った。
第2コーナーを抜けたところで、やまちゃんは完全に後ろについていた。
「わっ、やるじゃん」
おもわず声が出た。
それくらい意外だった。
少し前のめりに走る姿は、決してきれいではない。それでも、力強く腕を振り、空気をこじ開けるように力強く進んでいく。強力なプレッシャーをナミちゃんに与えながら、前との差を徐々に詰めていく。
そして、やまちゃんがついに第3コーナー直前で並んだかに見えた。
が、ナミちゃんも譲らない。
コーナーでは絶対に抜かせないとばかりに、気迫のこもった走りで後ろを押さえる。
やまちゃんは一瞬ひるんだように見えた。
しかし、彼は冷静だった。
コーナーが開けるところで、やまちゃんは少し外に膨らんだ。
ナミちゃんを本気で抜きにかかるためだ。
ラストの直線勝負。
残り40メートル。
その差はカラダ一つ分。
残り30メートル。
まだ差が詰まらない。
と思ったその時、演台の前を走り抜けたところで、ナミちゃんのペースが鈍った。やまちゃんはその機を逃さずに差を詰める。
残り10メートル。
完全に射程圏内。
残り5メートル。
歓声が湧き上がる。
残り1メートル。
並んだ?!
2人は同時にゴールラインを駆け抜けた。。。
後ろから見ていて、まったく結果がわからなかった。
本人たちも結果がわからない様子だった。
最後はそれくらいの接戦だった。
閉会式での結果発表。
生徒も保護者も、固唾を飲んで勝負の行方を待った。
結果は…
1組(ナミちゃん)の勝ち。
うおぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーー。
歓喜と溜息がいっぺんに出たような、何とも言えない声が校庭に響き渡った。
今日一番のレースは、こうして幕を閉じた。
足が速い子も、そうでない子も、とにかく一生懸命に走っていた。
チームのために、バトンをつないでいた。
健闘をたたえ合う表情は清々しかった。
コロナ禍において、座学の授業はリモートでも何とかなるかもしれない。
でも、こういう経験は学校じゃないとできない。
それをあらためて感じた「れんこんカップ」だった。
コメント