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あざ笑われる僕ら

よもやまばなし
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コロナ禍である。

 

ちょうど1年くらい前、大陸のとある都市でよくわからない感染症が発生し、大変なことになっているらしいというニュースを、まさに対岸の火事とばかりに眺めていた。

 

しばらくして、日本に停泊しているクルーズ船が注目を集めることになり、その頃から徐々に社会も未知なる恐怖におびえることになった。

 

とはいえ、日本はどういうわけかそれほど感染者が爆発的に増加することもなく、ジリジリと数字が増えていくにとどまっていたが、一方で海外ではものすごいスピードで感染者が増加していった。SNSを通じて地球の裏側のことが即座に伝わる時代だから、その惨状はあまりにもリアルに伝わり、次第に恐怖がぼくらを支配していった。

 

ついには新型コロナ特措法に基づく初の緊急事態宣言が発令され、街から人が消えた。人々は買い占めに走り、スーパーの棚からはみんなが欲しがるものが手に入らない日が続いた。

 

世界の人々が一同に会するスポーツの祭典が延期になった。

 

異例のことづくめで混沌としてはいるものの、対策が効を奏して感染症が下火になったのを見計らい、緊急事態宣言は解除された。国は待っていましたとばかりに、経済を再起動する政策をおこない、人々が街にまた戻った。さらに国は遠くの街にも出かけるように積極的にぼくらを後押しした。

 

感染症の恐怖が去ったわけではないし、元の日常に戻ることはないと薄々感じてはいながらも、ひさしぶりの外出を人々は楽しんだ。観光地にも以前とは同じとはいかないまでも、少しずつ人が戻ってきた。

 

もちろんウイルスはこの好機を逃さず、人の動きに合わせて勢力を静かに広げていった。そして少し肌寒くなってきたころから、ぼくらは再びその脅威にさらされることになる。

 

前回とは比較にならないほどの感染拡大。感染者数は日々過去最高を更新し、全国津々浦々、どこに行ってもウイルス感染の恐怖はぼくらを追いかけてくる。医療機関はひっ迫し、すでに満足な治療を受けられない状態になっている地域も出てきている。

 

そして2度目の緊急事態宣言。

 

そんな右往左往する人間をよそに、ウイルスはさらに変異を遂げて猛威をふるっている。

 

 

そんな様子をうたっているかのような詩がある。

 

ビートたけしの『キッドリターン』という詩集におさめられた「嘲笑」という詩である。

 

星を見るのが好きだ
星について考えるのが何より愉しい

百年前の人、千年前の人、一万年前の人、百万年前の人(?)
いろんな人が見た星と、我々が今見る星とほとんど変わりがない
それが愉しい

 

こんな感じで始まるこの詩を読んで、一人のアーティストがメロディを付けた。そして、ビートたけし本人に「できちゃった」と言って一方的に送りつけた。そうしたら、なんと2番の歌詞が送り返されてきて、一つの歌が生まれてしまった。

 

曲名は『嘲笑』。

 

この詩に感動して曲をつけたのは、日本を代表する男性シンガー、玉置浩二。

 

ビートたけし本人が歌うこの曲は、90年代にフジテレビで放映されていた深夜番組「北野ファンクラブ」のエンディング曲として長く使用され、玉置浩二のセルフカバー以外にもPUFFY、島谷ひとみ、篠原ともえなど、たくさんのアーティストに歌われている。

 

玉置浩二は北海道旭川出身で、とても星がきれいなところで生まれ育ったのだそうだ。だからだろうか、彼は星にまつわる歌をたくさん作っていて、その数は提供したものも含めると100曲以上にのぼるという。

 

玉置のファンを公言する篠原ともえのラジオに出演した時、彼はこう答えている。

 

星は変わらないものでもあるし、もう存在しないものかもしれない。愛とか夢とか希望を歌うと、結局そこにたどり着く。

ぼくは君だけの星だよ

これが歌の基本ですよね。愛するたった一人の星でありたい。それを歌にすることが、ファンのためにもなると思っている。そしてそのためには、頑張らなくちゃいけないですよね。

 

こんなことを考えている玉置なので、星がモチーフとなっている「嘲笑」という詩にいろいろな想いをめぐらせ、曲を作ってしまったのだろう。

 

1番の歌詞は少しだけ手が加えられているものの、ほぼ上記に引用した部分のとおりだ。大きな変更と言えば、「愉しい」が「うれしい」になっているくらい。

 

ちなみに2番は以下のとおり。

 

君といるのが好きだ
星について 考えるのが
何より楽しい
星も笑ったあの時
悲しくって星がにじんだ
あの日 あの頃
ぼくらが昔見た星と
ぼくらが今見る星と
なんにも変わりがない
それがうれしい

 

なんともロマンチックな歌詞である。

 

ぼくがはじめてこの歌を聞いたのは、じつは最近だ。パンチパーマに無精ひげ、腹巻にニッカパンツのビートたけしと玉置浩二が二人並んで座り、玉置がアコースティックギター一本で歌う動画がYouTubeの関連動画で流れてきて、衝撃を受けた。

 

なんてやさしい歌なのだ、と。

 

そう感じたのには、もちろん玉置の歌唱力によるところもある。だが、それ以上に歌詞の力を感じたのだ。難しい言葉をまったく使っていないがゆえに、すっと心にしみてきたのだ。

 

だが、ここで疑問が浮かんだ。

なぜ、この歌詞で「嘲笑」なのだ?

 

ただのひとつも嘲笑という言葉も、それに類する表現も出てこない。なのにこのタイトルは、これいかにである。

 

ぼくはこの時点でまだ元の詩の存在を知らなかったので、そこがどうしても解せなかった。だから何度も何度も歌詞を読んだ。そして2番の「星も笑ったあの時」というくだりで、この笑いが嘲笑なのだろうなと思った。

 

が、それにしても、である。

 

いくら今や世界のたけしとなったビートたけしであっても、この歌に嘲笑とつけるのは、飛躍が過ぎるのではないか。天才であることは間違いないが、そんなことは果たして可能なのだろうかと。

 

そこでこの異色のコンビによる曲がどうやって作られたのかを調べてみて、元の詩があることを知った。『キッドリターン』という詩集にたどり着き、「嘲笑」という詩の全文を見て、驚いた。

 

そこには星が人間を笑っている様子が具体的に書かれていた。

 

太古の昔から、人々が星について様々な意味付けや考察を続けてき
時には死人まで出してゴチャゴチャやってきたあらゆることを
ゆったり嘲笑うかのように
今夜も星は天空で輝いている
それが愉しい

 

かつてあり、今あり、これからもあるだろう星たち
ロケットを飛ばし、衛星を打ち上げ
宇宙創成についての精緻な理論を展開する人間を
宇宙の星々は陽気に嘲笑っているようだ
「君たちの地球上で、たった十メートルの高さから落とした紙が、どこに落下するのかということさえ計算できないのに、数十億年前の出来事の計算など、よくやろうという気がおきたものだな」と人間の不遜さ、不様さ、不躾さを笑っている
少しも冷たさを感じさせない星々の笑い
それが愉しい

 

人間の滑稽さを皮肉る表現のなかから、星が嘲笑している記述だけを抜き出してみたが、いやはや、もうこれでもかというくらいに、である。

 

元の詩はまさに「嘲笑」そのものだった。

 

この詩を読んで、あの曲を書いた玉置浩司のセンスには脱帽だ。ビートたけしもよもやよもやと心を打たれたのだろう。こんなにやさしい歌になるとはと。だから、あの2番の歌詞ができたのではないだろうか。

 

そんなことを想像しながら、またこの曲を聞いてみる。

 

ああ、これは今の僕らに必要な歌だな、と思った。

 

コロナ禍は地球の自浄作用だという説がある。やりたい放題の人間に神が下した試練なのだと。確かにそういう側面はあるかもしれない。それに抗って、ぼくらがやっていることは、星から見れば一瞬のごちゃごちゃにしか過ぎないんじゃないかとも思う。懸命に悩んだところで、あっという間に人間は死んでしまう。

 

それでも、ぼくらは生きている。

いつでも、だれかと生きている。

 

だから、この曲の歌詞にある「きみといるのが好きだ」と言えるような人と一緒に、あんまりくよくよ悩まずに、できるだけ機嫌よく笑って過ごしたいものだと思う。

 

詩はこんな言葉で締めくくられている。

 

今夜も星を見る

 

好きな人と星を見れば、自然と笑顔になれる気がする。

 

 

 

 

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