僕はミラノにいた。
17世紀に建てられた歴史あるアカデミー。林立する石柱がいかにもヨーロッパの建造物といった感じで、僕を出迎える。ひんやりとした空気が漂う回廊が、ショーのランウェイとしてセッティングされている。
真ん中を通る道の両脇には簡素な椅子が並べられ、白い封筒が置かれている。オーディエンスが集まり、会場の空気が徐々に熱を帯びていく。
定刻を少し過ぎたころ、暗転。いよいよ宴が始まる。
雰囲気を盛りあげる音楽に合わせて、目の前をモデルたちが通り過ぎていく。その身にまとっているのは、今まで見たこともないデザインとディテールで彩られた作品だ。
ショーの途中で大きな歓声があがった。
世界的に有名な女優がモデルとして登場したのだ。残念なことに、それがどれほどの人物なのかということを僕は知らなかったが、明らかに会場の人々が写真を撮ろうと目の前に構えるスマホの数が違っていた。
ショーの最後、すべてのモデルが一列に並んでランウェイに再登場し、最後尾にはそれらすべてを作り上げたデザイナーがスタッフを引き連れて歩いてきた。
拍手喝采。
僕はあるブランドのファッションショーを見ていた。
僕は某外資系ラグジュアリーブランドで仕事をしている。ここにたどり着くまで、いくつかのブランドでいろいろなポジションを経験したが、現在は原点であり最前線であるショップで、お客様のライフスタイルを彩るお手伝いをするのが役目だ。
ある日、そのブランドの周年イベントとして、全世界のスタッフから作品を募集し、投票をするコンペティションがおこなわれた。
絵、写真、動画など、表現方法は自由。
社内の専用サイトに投稿し、そこで投票もおこなう。投票は全社員が権利を持っている。正確な人数はわからないけど、世界の5分の1の店舗数がある日本だけで約400人なので、世界だと大体2000人くらいといったところだと思う。
優秀な作品の投稿者には、ミラノコレクションへの招待という賞品が与えられるという。
僕はイタリアに行ったことはあるが、ブランドの製品が作られるところを見たことはなかった。今回はそのスタートであるコレクションランウェイから見ることができる。こんな機会はたぶん二度とない。
そこで作品を応募することにした。
出題されたテーマを見て、パっとあるイメージが浮かんだ。大人が持つバッグを子どもがわがもの顔で持っている姿だ。とってつけたようではなく、あくまでも自然に、「あらあら」といった感じで。
ブランドの価値は歴史にある。品質がいいのは当たり前。それが長く愛されながら使われ続けることで、人々はそれを「ブランド」として認知する。これまでの歴史を引き継ぎ、次につなげていくのは自分たちであり、それを手渡すのは今の子どもたちにだ。だから、子どもが製品を手にしている姿から、ブランドの未来を想像させるような写真を撮ろうと決めた。
その趣旨を妻に話し、娘をモデルに起用した。
ママのワンショルダーバッグを、娘が斜め掛けして歩く姿を撮った。手をつないで、「私にも使えるのよ」といった感じで得意げに歩く様子は、微笑ましかった。表情はあえて見せないバックショット。でも、その背中に心躍る軽やかな感じが出ている1枚を選んだ。
写真にはブランドのロゴとコピーを添え、コンペ開始の数日後に投稿した。
投票結果は「いいね」の数でリアルタイムに更新される。自分の作品がきちんと投稿されているか確認するために投票ページにアクセスし、ついでに他の作品を見てまわったが、その時点では「いいね」をそこまで集めている作品はなかった。
この時、コンペティションの投票ページを見て、僕はトップページに閲覧数の多い作品が5つ掲載されていることに気が付いた。
「あっ」
そう思って、すぐさま知っている数人の店長に連絡を入れた。「作品を投稿したので、よかったら見てみてください」と。そのアクションへの反応は、店長たちのお店のスタッフ数の「いいね」としてすぐにあらわれ、その時点で一番の投票数となった。
これ以後、コンペティション投票のトップページに、僕の作品がずっと表示され続けることになった。
動画のように中身を見ないとわからないものではなく、パッと見てわかる写真を選んだことと、それがもっとも人の目に触れる場所に置かれるようにしたことで、僕の作品は国内のみならず、世界中から「いいね」を集めた。
ただ、同じようなことを考える人はいるもので、おとなりの膨大な人口を抱える国が人海戦術で挑んできた。おそらく、社内総動員で自国のスタッフの作品を数の論理で押し上げようともくろんだのだ。
新しい作品を投稿した瞬間に100単位で「いいね」がつくなんて、そういうやり方をしていることは誰の目にも明らかだった。
日を追うごとに投稿される作品数は増え、それらがすべて数百の「いいね」をデフォルトで獲得しているのだから、たまったもんじゃない。
僕の作品は、かの国から猛追を受けていた。
投票締め切りの3日前に「いいね」の数は見えなくなった。結果発表を盛り上げるためだ。
ミラノへの招待は、上位10名と審査員特別賞で数名という話で、僕はその10名に滑り込めればいいと考えていた。
「いいね」が見えていた時点では、まちがいなく10名に入っていた。が、かの国の投稿作品が連投されていたのもまた事実で、ひょっとすると規定人数からこぼれてしまうかもしれないという恐れがあった。
そして、結果発表の日。
リロードをして結果発表のページを読み込むが、何度見ても
coming soon
の文字が表示される。
はじめの頃はどきどきしながらリロードしていたけれど、途中からはまだだろうなと期待薄な感じになっていった。
そうして何度かF5キーを押したある時、パっと見慣れない画面が表示された。
10名の一番最初に、僕の名前があった。
やった・・・
想像していたことが、実現した瞬間だった。
僕は2000人のコンペで世界一になったのだ。
この結果は、純粋な作品の評価とはいえないかもしれない。知人に協力を仰ぎ、投票サイトの特徴を利用したことはまちがいない。
それでも、日本のスタッフの数だけでは、この結果はあり得なかった。海外の人がたくさん投票をしてくれたこと。これが何より自分としては嬉しかった。そして、数の論理で押し寄せてくる勢力をも超えられたことが嬉しかった。
まわりの人間には「奧さんと娘さんがイタリアに行くべきだ」なんて言われたりもしながら、僕はミラノコレクションを鑑賞する機会を手に入れたのだった。
自分が世界一になるということを想像したことがあるだろうか。
僕にはまったくなかった。
ただ、イタリアに行けるならやってみようくらいの感じだった。そのためにできることを一つ一つ積み上げた。そうしたら目標のイタリア行きの切符を手に入れられた。
おまけに世界一ということになっていた。正直びっくりだ。でも、たとえ狭いフィールドのなかであっても、世界一は世界一だ。これ以降、僕は世界一というのを少しだけ意識するようになった。
自分の世界で一番をめざす。
これは誰でもできることだ。仕事ならクライアントにとっての世界一になればいい。家族がいるなら家族にとっての世界一になればいい。
自分のフィールドで世界一だと言えるような自分であろうとするのだ。
そのためにできることを、一つ一つ積み上げる。
自分への挑戦であり、自分への勝負だ。
それに勝利したら、あなたも世界一だ。
誰でも挑戦できる。
どんな分野でもいい。
今から目指そう。
世界一になろう。
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