ねぇ たつや
この街の景色は君の目にどう映るの?
今の僕はどう見えるの?
ねぇ たつや
誰かの優しさも皮肉に聞こえてしまうんだ
そんな時はどうしたらいい?
良かった事だけ思い出して
やけに年老いた気持ちになる
とはいえ暮らしの中で
今 動き出そうとしている
歯車のひとつにならなくてはなぁ
希望の数だけ失望は増える
それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」
想像してみるんだよ
はい、ミスチルです。
『くるみ』です。
歌詞ほぼそのままで一部改変。
ミスチルのファンの方、ごめんなさい。
でも、こんなに今の心境にぴったりな歌ないんですもん。
ミスチル天才。
ただ、ここまで引用して、おまけに歌詞の一部を変えたりするのは、本来やっちゃいけない気もするので、関係各位に謝っておきます。
ごめんなさい。
よし、これでOK牧場。
このブログで何度も書いている日記ブロガーこぼりさんの3000文字チャレンジ。
こぼりさん主催でのお題は「平成」で終了となるみたいです。
でね、ふと振り返ってみたくなりました。
自分が書いてきたものを。
3000文字チャレンジで書いたものを読むと、その時、どんなことがあったかを思い出せるんですよね。
書くことには生みの苦しみが伴っているから、深く記憶に刻まれているんだと思います。
メイキングなんて大それたことはできませんけど、書いてきたものがあれば、振り返りはできます。
どんなことを思って書いていたのか、ツラツラと書き連ねてみたいと思います。
なんか、いろいろ書きたいの。
そういう気分なの。
■みかん
僕のはじめての3000文字チャレンジは「みかん」でした。
へぇ、面白いなぁー。
そう思って、いくつか読んでみました。
おばばの話が、印象に残ってます。
すげー文章書く人がいるなって。
いっちょやってみるか。。
で、書こうと思ったけど、一つのテーマだと息切れする。
当時はまだ「書く」ことに対して、リハビリが必要な感じでした。
で、投稿したら、反応がある。
素直に嬉しかったです。
ブログ楽しいな、書こう。
そう思えたのが、この回でした。
■おすすめ
『僕はどうしてブログを書くんだろうと考えてみた』
このタイトルを見て思ったこと。
はて?
何のお題だったっけ?
もうね、それが思い出せないくらい、普通の文章を書いてました。
ブログのリハビリ中って感じのやつ。
でも、この時は大真面目にこれを書いていたんだと思います。
文章でふざけているのは、こぼりさんの影響だな。
読み返すと恥ずかしいですが、たまにいいことも言ってると思います、たぶん。
■橋
次のお題は「橋」か…
何を書こうかな…
もう、書くのが当たり前、参加しないなんて微塵も考えてない状態で書いた回です。
ただね、無理やり感も正直ありまして。
何とかひねり出しても、箇条書きスタイルだったんですよね。
で、ここで一旦、僕の中では区切りをつけました。
無理してお題に立ち向かうのではなく、フッと湧いてきたら、その時は参加するスタイルにしよう。
だから「橋」はある意味、気負いを外した転換点の回でした。
■フレグランス
最初は参加する気がなくて、ぜんぜんお題についても考えたりしてませんでした。
ただ、自分の仕事で扱っているものなので、気にはなっていました。
でも、正攻法で知識を書き連ねるのもつまらんしなぁ。
そんなことを考えながら、何人かの作品を読んでいるうちに、フレグランスを販売する裏側なら面白いかな、というアイデアが浮かんで書きました。
うんうん唸ってひねり出すことを辞めて、浮かんだものをそのまま出したので、わりとすんなり書けた記憶があります。
■私を熱くさせたもの
こぼりさん自身初となるセミナーに参加して、ブログに書くとなった時、切り口が3つ浮かびました。
で、それをツイートしたら、脳内垂れ流しブロガー2名に「全部書いて!」と言われて、じゃあと一念発起。
このお題では、真っ向勝負で当時こぼりさんについて思っていたことを書きました。
いろいろな方に「こぼりさん愛が」みたいに言われるのがくすぐったく、このブログを読んでいる奥さんにも「好きなのねぇ」と言われる始末。
たぶん、一番反響があった回でもあって、僕だけでなく、3000文字チャレンジという企画に乗っかってる誰もが、こぼりさんを好きなんだなぁと感じました。
■焼肉
キャンプが趣味で、バーベキューも焼肉に含めていいだろうと思ったら書けた回です。
ほぼ肉を焼くことについては書いておらず、そのための準備とか周辺的なことで字数が3000を超えてしまったので、最後はだいぶ小さくまとめてしまいました。
こういうところの持久力というか、きちんと書ききる姿勢みたいなものは、今後の課題かもしれません。
で、今回が7個目。
今までのお題が全部で20個だから、半分も参加してないんですね。
そんな僕がって気もするんですが、一応、この場を借りて、ここ数日で考えていたことを少し書きます。
ことの発端は、とある方の、とある記事です。
3000文字チャレンジという「書く」ことでつながっているはずの場に対する、的確な現状分析。
そして、そこに抱く違和感。
この一投は、徐々に加速度を増して、波紋を広げていきました。
いろいろな所感が交錯し、それぞれに抱いていた「違和感」が露呈していきます。
その夜。
3000文字チャレンジを次のお題「平成」で終わりにする。
この主催者の発表を受けて、ツイッターは静かにざわざわしていました。
僕はその様子をただただ眺めていました。
主催者は決定事項と言いました。
この企画は、彼のもの。
誰もがそう思っているので、そこからみんなが発信するのは、終わりを前提とするものでした。
同情はやめてほしい。
この希望をみんなきちんと聞き入れ、それぞれに感謝、賞賛、喪失感などをつぶやいたり、記事にしたりしていました。
僕はそのどれにも与することなく、考えていました。
3000文字チャレンジを継続する方法を。
終わりにすると言っているものに対して、なぜそんなことを考えていたのか。
僕はこの場を失くしてはいけないと思っていました。
いずれ終わるにせよ、今ではない、と。
Youtube の公式チャンネルで終了の発表があった後、日付が変わった深夜2時半頃。
僕は「#3000文字チャレンジ」でエゴサーチをしていました。
そこに並ぶのは、お題に対し苦心して書き上げた作品に対する、喜怒哀楽の言葉でした。
僕が目を留めたのは、こういった言葉です。
「ひさしぶりに参加」
「やっぱり書けると嬉しい!」
「なんか実家みたいな感じ」
書きたい人が、書きたいように、書く場。
書きたい人が、戻りたくなる場。
ちゃんとそこにありました。
何度かお休みしても、ふと書きたくなる時ってあると思うんです。
そういう時に帰ってくる場所であってもいいんじゃないか。
たとえ、場の空気が少しくらい変わってしまっていたとしても、この企画の秀逸さと、書くことに寛容な空気感は、変わらないんじゃないか。
僕はタイムラインを眺めながら、そんなことを思ったのです。
とはいえ、終わりにすると言っている企画です。
どうやって継続するのか?
例えば「#3000文字〇〇」というのを付けて、自由に遊んじゃうというのはどうでしょう。
私、書いたよ。
誰かが書いてくれたら読むよ、という意思表示です。
無性に書きたい時ってあるでしょ?
え?ない?
僕にはあります。
何か吐き出したいものや、誰かに伝えたいことがあった時に、バーっと書いて、3000文字越えちゃったら
#3000文字ほにゃらら
って書いてつぶやけばいい。
3000文字を経験した人は、きっと懐かしさ半分で読んでくれると思うんです。
で、きっとリプとかしてくれると思うんです。
これなら、誰でも継続できる。
もしかしたら、私も書きたいって人があらわれるかもしれない。
そうしたら、そこで新しい3000文字チャレンジが始まる。。。
でもね、やっぱり本音を言うと、誰かが続けてくれればいいなと思います。
僕は、こぼりさんでなくてもいい。
誰かが読んでくれると思って書ける場所。
そんな場所があって欲しいなと思うんです。
ミスチルのくるみ。
くるみは「来る未来」なんだそうです。
どんな未来がくるのか。
あと10日。
平静を装って過ごしたいと思います。
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